コラム

【生活のSDGs】「正しいこと」はなぜダサいのか?-序論-

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すっかりご無沙汰してしまいました。
ここ最近はある大問題について考えていたのです。たまたまOxygen編集長・雨宮のツイートがその問題にまつわる気分の一端を捉えているように思うので引用しておきます。

 

 

もしかして、SDGsはもうダサい。
いや、正直繰り返される歴史を振り返って少し考えてみればまちがいなく起こるべくして起こったと納得できることではある。とはいえやっぱりこれは大問題なのだ。新たなスタンダードとして提示された「正しいこと」は、それが夢物語に近いあいだは僕らをわくわくさせるものだけれど、実際現実味を帯びてきて、多くの人に認知されるころにはもうすっかりダサくなっている。しょうもない現実を生き延びるために心の寄る辺としてあった「正しいこと」は、現実を変えるために現実にインストールされたとたん、現実味を帯びたしょうもないものに見えてくる。なぜなら、どうあれ現実はしょうもないものであり、存在するはずもない「ここではないどこか」と比べてしまえばいつだって「ここ」はしょぼいからだ。であれば、ぼくらをわくわくさせ、奮起させる「正しいこと」が、ずっと僕らのあこがれであるためには、ユートピアに留まりつづけていなければいけないのだろうか。高嶺の花は摘まれてはいけない、と。けれども、そんなバカな話ってあるか。

エコだのエシカルだの「正しいこと」は、イケてる消費活動のひとつとして現れてはすぐさまダサくなっていく。これはおそらく僕らのなかに「消費活動そのものがダサい」という気分が根強くあるからかもしれない。「正しいこと」は資本主義社会に対するオルタナティブのような顔をして僕らの前に現れてくることがほとんどだ。

「今回ご紹介するものは、これまでのように差し出されたモノをただ消費するだけの空しい消費じゃありませんよ」
「あなたがこれをすることで、未来を作っているんですよ」

「正しいこと」はだいたいそんな顔をして現れてくる。
でもさあ、結局それは消費なわけでしょ?
いつもなんとなく騙されているような気分の僕らは、「正しいこと」が示す明るい未来予想図を前に徹底的に醒めているし、財布のひもは固いまま。そもそもひもを緩めたって財布の中身はろくに入っちゃいない。

つまりこういうことだ。SDGsって大事だよと言い続けた本人が、SDGsって大事だよね、と多くの人が声をそろえて言い始めた途端、みんながこぞって揃いの「イケてるTシャツ」を求めて店先に行列しているのを目撃するようなうすら寒い気分になってしまったのだ。人に勧めておきながら実際に人がノッてきたら醒めてしまうというまったく無責任な奴なのだ、僕は。

「自立した個人が共生する社会っていいよねってのがそもそものスタートなんじゃなかったの?みんな右にならえで「イケてる」方へ向かってくのって本当にイケてんの?」

「正しいこと」が社会的なコンセンサスを獲得したとたん、その「正しさ」はかぎ括弧が外れることになるだろう。かぎ括弧の外れた「正しいこと」は、怖い。なぜならそれは正しさを盾におおくのものを抑圧しうるからだ。だから僕みたいな天邪鬼は正しいとされていることをもう一度括弧に押し戻してやりたくなる。けれどもだよ、こうした天邪鬼な気分っていうのは「多様性を認めろって言うんなら、多様性を認めない俺たちの偏狭さも認めろよな」という横柄さと紙一重なのだ。こうした横柄さは正しいとか正しくないとかいう以前に幼稚だと思う。けれどもそういう幼稚さが自分にもあることを自覚し、それでもなお誠実であろうとすると、次のような大きな問の前に立ち尽くすことになる。

「正しいこと」は「正しくないこと」に対してどれだけ「正しくなく」あっていいのか?

社会の多様性を謳う僕らは、「多様性を認めろって言うんなら、多様性を認めない俺たちの偏狭さも認めろよな」というひとを幼稚であると無視してよいものなのか。それともそれがいかに幼稚な議論以前の議論であろうとも、発議された以上誠実に向き合っていかなければならないのか。

僕は今回「SDGsはなぜダサくなりはじめているのか」について書いていこうと思った。
けれどもそれは、「正しいこと」に幼稚な議論を吹っ掛けることになりかねない。
そういうダサいことはしたくない。僕はダサいことが大嫌いなのだ。
ちょっと待て。もしSDGsがダサいのならばもう何を書いてもダサい。ダサいのが嫌ならば、もういっそ何も書かないほうがよくないか。
このような逡巡が、きょうまで連載をストップさせてしまった。
なんならここ最近「ですます調」でやってきた文体までも変えてしまった。

正直いまも「すでに取り返しがつかないほどにダサいんじゃないか」とびくびくしながらも、僕はなるべくSDGsをイケてるものとして復活させようと頑張ってみるつもりだ。

そのためにも全部で何回になるかもまだわからないけれど、これからあたらしく一つの問いについて考えていく。

「正しいこと」はなぜダサいのか?

この問いはたぶん以下のような問いと連れだってやってくるだろう。

消費はほんとうにダサいのか?
消費者って誰だ?
作り手って誰だ?
「正しさ」はなぜ怖いのか?
イケてる/ダサいってなんだ?
ソーシャルグッドな界隈はなぜ心を病んだり自然が大好きだったりしがちなのか?
未来を語る言葉はなぜカタカナばかりでバカっぽいのか? などなど……

まじで途方もないな。
どこまでいけるかわかりませんが、皆さんもよかったら一緒に考えていきましょう。

第二弾はこちら

町でいちばんの素人

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投稿者の記事一覧

柿内 正午
91年生まれ。26歳になり物心がついた2017年ごろからものを書き始める。
言葉を売買する会社・もっとmots( @motomots )契約社員/零貨店アカミミCEO(開店準備中)/町でいちばんの素人/都市型密猟者

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