夏だ。
すっかり夏だ。
さいきんは頭が痛くて朝起きられない。
この一週間はぎりぎりまで寝こけて朝ごはんも食べずに家を出るのが続いている。
脚に毒素がたまっているような感じがあって、張っている。
日中デスクに張り付いているのがつらい。
満員電車の汗のにおいが耐え難い。
今期のドラマにおもしろそうなものがない。
うなぎとサイゼリヤの話ばかりでツイッターがつまらない。
漫画雑誌の表紙の女の子たちの顔の見分けがつかなくて、
こんなベタな歳の取り方をしてしまったかとかなしくなる。
職場の人の顔と名前が一致しなくて電話の交換に手間取る。
顔の見分けがつかないのはもとからだったと思い出してほっとする。
いっとき50キロ台で安定しかけた体重は
また49キロを切らない程度のところまで落ちてしまった。
これもすべて夏がいけない。
夏が暑いのがいけない。
毎年夏になると、いちいち新鮮な気持ちで夏が嫌いになる。
けれども夏に対してぼやくことは毎年ほとんど変わらない。
今年来る夏は、去年の夏よりも暑い。
去年の夏はおととしの夏よりも暑かった。
……と、ここまでは先週(7月26日あたり)書いた文章だ。
なんだかとても愚痴っぽい。
先週はなんだかほんとうに調子が悪くって、
怖いくらい朝起きだすことができなかった。
振り返ってみるとタイムラインで見かける人たちも
なんだか具合が悪そうで、そういう天気の週だったのだと思う。
人は思っている以上に天気に左右される。
湿気が高ければ愚痴っぽくなるし、暑苦しければいらいらする。
日照時間が長ければ気も長くなるし、雨が降れば憂鬱になる。
夏が好きという人たちは、夏の自分が好きなのだ。
夏の天気と体との相性が良いのだろう。
気圧のアップダウンや湿気で具合が悪くなってしまう僕と夏との相性は最悪だ。
ちょうど一年前のこのころバルセロナに行った。
朝は6時から明るく、22時ちかくになってもまだ明るかった。
カラッと乾いた空気にさんさんと太陽が照りつけて、
ニュースで見る限り経済も政治もろくなことがないその国で、
それでも町の人たちがどこの誰よりも機嫌よく、
のんびり陽気に過ごしているわけがわかったように思った。
人のからだやこころの調子というのは天気のようだ。
というよりも、天気そのものなのだと思う。
僕たちは天気と呼応している。
僕が小学生のころ、
地球規模で天気がおかしくなっているという物言いが大流行りしていた。
まだ元気いっぱいだった子供の僕は、
いい大人たちが天気くらいで大騒ぎするなんて変だな、なんて思っていたけれど
天気が変わると人も変わるのだから、これはとても重大なことなのだ。
気圧がちょっと下がるだけで頭が痛くなる大人になってそれがよくわかる。
あい変わらず季節に敏感にいたい。