コラム

【生活のSDGs】おしゃべりによる世界の創発

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今回は、「サステイナブル」という言葉をもっと流行らせようぜ、という話をします。

「サステイナブル」をテーマにした連載をさせていただいているから「サステイナブル」という言葉を取り上げますが、
どんな言葉であれ、それは自身の世界との関わり方、それどころか世界のありようそのものを表しているんだ。

そんなお話になる予定です。

(↑は以前「サステイナブル」をテーマについて思うことを書いた記事)

流行語、従来の文法を逸脱した「若者言葉」、限られたコミュニティでしか通用しない「業界語」、
こうしたものは何となくいけ好かない、底の浅いものであるといった印象が強いですが、実は私たちが普段考えている以上に重要なものです。

比喩でも精神論でも広告でもなく、言葉というのは世界そのものであり世界を変容させていくものだからです。

ここで「語りえぬものについては沈黙しなければならない」というバズワードの生みの親、ウィトゲンシュタインに登場いただきましょう。
「これまでの哲学はなんにも語ってねえ」と息巻いたウィトゲンシュタインは、しだいに日常会話、つまり普段のおしゃべりに惹かれていきます。
なぜおしゃべりだったのでしょうか。

ものすごくざっくりとウィトゲンシュタインの哲学をさらってみましょう。

ウィトゲンシュタインは世界とは「実現している事態の集合」なのだと考えました。
ここでいう「事態」とは「いまある要素の配列の様態」のことです。
さまざまな「要素」がどのように並べられているか、その様子が「事態」であり、
そうして現実に表れた「事態」が集まったものが世界だというのです。

哲学というのは論理というシステムとして駆動します。論理にとっての「事態」とは言語です。
そして言語の「要素」とは語です。

語を組み合わせて、つまり語の「配列」によって、言い換えれば言語という「事態の集合」によって、私たちは会話をしています。

言語とは、言語の要素である語をいろいろに配列して行うゲームなのです。

ゲームにはルールがあります。言語ゲームのルールとは、どのように語を「配列」するのか、ということを規定する文法のことです。
ただ、ゲームの醍醐味は常にルールの順守と逸脱とが共存しているところにあります。

ウィトゲンシュタインにとって、日常の会話、おしゃべりこそ、そうした言語ゲームの順守と逸脱が完全に立ち現われる現場だったのです。
この言語ゲームは外から解釈してもナンセンスです。
言語ゲームに観客は不在だからです。
私たちは私たちが楽しいからおしゃべりをするのであって、他の誰かのためにおしゃべりをするわけではありません。
おしゃべりの当事者同士が通じ合っていれば(ゲームに参加していれば)それでいいのです。
たとえば、自分の家族や友達同士でしか通じない特殊な語彙を持っているという人も多いのではないでしょうか。
僕の友人の実家ではヤモリのことを「タモリ」と呼んでいたらしく、
彼がヤモリを見かけたとき「あ、タモさん」と普通の顔で言ってのけるのが可笑しくて思えて仕方がなかったことがあります。
これは僕と彼とのあいだに「ヤモリ=タモリ」という語彙の変換ルールが共有されていなかったためです。
「ヤモリ=タモリ」ルールの定着した彼の実家では、何の違和感もなく彼の発言はおしゃべりに回収されたことでしょう。

このように言語ゲーム=お喋りは、常にその内部でルールが生成され、そのルールに則って作動します。
システムの内部において、そのシステムそれ自体を稼働させるルールを生成し、さらに自身もシステムの一部としてふるまうこと。
この自己制作的システムこそがおしゃべりの正体なのです。

そして要素―配列―事態の連動は、おしゃべりから世界にまで連続しています。世界とは、「実現した事態の集合」なのでした。
おしゃべりは、言語という「事態」の集合でありながら、この世界を形作る「要素」の一つでもあるのです。

日常会話はこの世界というシステムの云億分の一スケールの模型のようなものだと言えるでしょう。
そしてそれは単なる模型ではなく、システムの一部分を担っているのです。
従来とは異なった様態の「事態」が集まれば、世界の様態も変わっていきます。
ある人とおしゃべりを続けるうちに、二人の間で独自の文脈やルールが形成され、ほかの誰ともおこなうことのできない、独特のおしゃべりの様相が立ち現われてくるように。
私たちの日常のおしゃべりは世界を変容させる力があるのです。

はやり言葉とは、世界の変容の兆しです。
だからこそ「サステイナブル」という言葉が流行ることに希望があるのです。

しばしば誤解されますが「サステイナブル」は「現状維持」ではありません。
このままではすぐにダメになるという予感があるからこそ、もっと将来性のあるシステムを構築しようよ、ということです。

今の快適をだらだら延命させるよりも、それを犠牲にしてでももっとたくさんの人の快適を目指していこうぜという気分です。
セクハラ上司、成金モンスター、低所得者を叩くことで自分を慰める低所得者……
そうした人たちの「快」をぶっ壊して、もっと誰もがハッピーになることを「快」とする世界を醸そうぜ、ということです。
「サステイナブル」はむしろ、既存システムに否を突きつけ、そのアップデートを迫る言葉なのです。

さあ、このいまだダメダメな世界に、僕らから創発的なフィードバックを返していきましょう。
革命のフィードバックを引き起こす変数となりましょう。
状態でなく方法の最適化を模索しようじゃないですか。

これからの世界をつくっていくもっともお手軽な方法は、ふだんのおしゃべりを変えること。
普段のおしゃべりで使う言葉を変えること。
つまんない言葉を流行らせちゃうと、つまんない世界が続いていっちゃうので、
まずはハッピーでないものごとを「それってサステイナブルじゃないよね」という言葉で変容させていきましょう。

町でいちばんの素人

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投稿者の記事一覧

柿内 正午
91年生まれ。26歳になり物心がついた2017年ごろからものを書き始める。
言葉を売買する会社・もっとmots( @motomots )契約社員/零貨店アカミミCEO(開店準備中)/町でいちばんの素人/都市型密猟者

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